蓼科・八ヶ岳での田舎暮らし

神々の宿る 蓼科八ヶ岳物語

その5 縄文の都

日本最古の国宝“縄文のビーナス”は約4500年前に作られたとされる土偶で、妊娠した女性の様子を表し、細部にまで、見事な文様が施されています。

また、重要文化財土偶“仮面の女神”は約4000年前に作られたとされる土偶で、逆三角形の仮面を付けたと思われる顔、身体につけられた渦まきや円などの文様が神秘的な輝きを放っています。二つの土偶は今年9月に大英博物館に出展されます。


市内にある347カ所の遺跡の中でも、尖石遺跡は約5000年前の遺跡です。
当時の人が使っていた石器や土器、住居跡が発見され、出土品は尖石縄文考古館に展示されています。又、当時の復元家屋もご覧いただけます。

八ヶ岳山麓には、暖温帯と冷温帯の落葉広葉樹林が混交した広大で豊かな環境特性があり、縄文人が暮らすのに十分な植物や動物などを提供できたことが繁栄の大きな理由のようです。しかし、集落数や人口の増加により、自然界の食糧が不足し始め、気候変動の悪化も伴い次第に衰退していったという説もあります。

縄文中期の約1000年の間、八ヶ岳山麓に爆発的に縄文文化が繁栄し、その後、姿を消していったのです。八ヶ岳山麓が、縄文文化の中心の地であったことは間違いないようです。



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