その4 小泉山と大泉山
その3で、「八ヶ岳の民話」をご紹介いたしましたが、今回は、デイラボッチが 粟沢村に置いていったモッコのお話です。
八ヶ岳は幾度かの噴火で、泥流が遠くまで流れていったのは事実のようです。それなのに小泉山と大泉山は、周辺のローム層や安山岩とは全く異なった岩質で、おそらく古生層のもののようです。まるで、モッコの土を置いていったという話のように、小泉山と大泉山の岩質が周囲と異なったものであることを知ると、デイラボッチの話は、実に面白く、ただの民話でないように思えてきます。
デイラボッチは、天秤棒を探しに歩き、ようやく粟沢村で見つかりました。粟沢村は、二つのモッコ、小泉山と大泉山をもらった村です。粟沢村の近くに古田(ふった)という地域があります。粟とか田から連想するように、この地域は丘陵では、初めて稲作が行われた集落で、唯一、弥生式文化の地域であったといわれています。そして、粟沢村の裏の台地(茅野和田)は、尖石、与助尾根遺跡と並ぶ縄文中期の大集落群なのです。古代人が里に下りてきて稲作を始めるようになったころ、裏山は、縄文時代に栄えた住居跡が残っていたと想像することもでき、その穴は、まるで大男の足跡のように当時の人は思ったのかも知れません。
さて、小泉山、大泉山は、地元では コヅミヤマ・オヅミヤマと呼びます。方言かと思っていたのですが本来は、小積山、大積山なのではないか?と古代のロマンに想像は膨らみます。